もう一つの「こころ」の問題では「精神心理的要因・社会生活的要因」が痛みの発生や慢性化に大きく関与しているにも関わらず、積極的な取り組みがなされていないことです。
痛みに心の問題が関与しているのに、心療内科などで痛みの事を尋ねても「痛みの治療については分かりません」などと言われます。身体も心も一体なのに身体の治療と心の治療が切り離されているのが我が国の医療の現状です。
では、心の働きが身体に与える影響を見てみましょう。
心身一如
心と身体はひとつのものだ・・・ということを「心身一如」と言います。「心身医学用語辞典」によりますと、そのことを次のように述べています。
『自律神経や内分泌系の中枢である視床下部は、情動の中枢である大脳辺縁系と密に連絡を取りながら働き、また、脳と内臓諸器官・免疫系の間も同様の情報伝達系が存在して、影響しあっている。これらのことが、心と身体がもともと二元論的なものではなく、心身一如の一元的なものであることを示している』
急性痛と慢性痛
怪我や事故などで生じた急性の痛みが治ることなく、慢性痛へ移行するにはいくつかの持続因子、強化因子が関与していると考えられていますが、「精神心理的要因」と「社会生活的要因」という心の問題の関与が指摘されています。つまり本来治るべきものが、心の問題によって治癒力が阻害されたり、痛みを増悪させたりする働きをするために、やがて慢性化して行くという考え方です。
ストレスと病気
ストレスが病気や痛みの発症や慢性化に影響することはよく知られていますが、「ストレス」という概念を初めて打ち出したのはハンス・セリエだと言われています。
安保徹著 「医療が病をつくる」より
病気の原因を大きく分けると①遺伝子 ②感染症(細菌・ウイルス) ③生活習慣であるが、日常的に起こっている多くの病気は生活習慣病と言われるように、その人の日常の活動や食生活、そして心の悩みなどを原因とした破綻から来ているように思われる。
生活習慣病と言うと食べ物の摂取やタバコなどの嗜好品にのみ注意を向けられる事が多いが、もっと大事な事がある。働き過ぎ、仕事上での対人関係による葛藤、家族関係、心の深い悩みなどのストレスが、私たちの交感神経を過剰に緊張させ病気をつくることが、圧倒的に多いのである。私は病気の80%は広い意味のストレスや、医療に於ける薬剤使用の間違いによって起こっているものと考える。また、ストレスという概念の中には、排気ガスの吸入、農薬や環境ホルモンの摂取なども加えなくてならない。
プラシーボ効果
心の働きが病気や痛みに大きく関わっていることを示しているのが、『プラシーボ効果』です。プラシーボ効果とは偽薬効果の事で、偽の薬を処方されても、心の働きによって(効くと信じ込む事)何らかの改善効果が得られる事を言います。この効果が存在する事は広く知られていて、特に痛みや下痢、不眠などの症状に対しては、かなりの効果を現すと言われています。
「ビーチャー博士の研究」
- 1082例の統計によるプラシーボ効果の現れる確率は35%±2.2%
- 癌の自然退縮をもたらすほど強力に作用することもあり、決して無視できるものでは無い。
このビーチャー博士の研究は1082例という比較的大きな研究 なので信頼性が高いとされ、プラシーボ効果の例として取り上げられる事が多いのですが、他の研究ではこれよりも効果が出 るとしているものも数多くあります。
ビーチャー博士の研究では、効果があるはずのない偽薬を使って、35%前後に効果があったとしていますが、10人の内3人~4人に効果がみられるというのですから、心の問題はないがしろに出来ません。
ノーシーボ効果
逆に偽(にせ)の薬なのに、副作用(有害作用)が現われることを、ノーシーボ効果といいます。薬には副作用があるという経験をした事などによって、薬に対する不信感や不安感があると何の薬理作用がないはずの偽薬を飲んで、副作用が出現する事があります。
また、「腰痛⇒治らない⇒手術が必要」など、誤った情報や信念を持っていたり、医療機関で不安感を抱かせられる経験をすると、治るはずのものが治りにくくなったり、悪化して行く事があります。
トリガーポイント研究所に相談に来られる方のお話しを聞いていると、医療機関での診断を受けてから症状が悪化している例をよくみます。
「軽い筋肉痛がなかなか治らないので、念のため医療機関を受診したら、レントゲンを撮られて脊椎分離症という診断を受けました。安静が必要だということで入院しましたが、それからどんどん痛みが悪化しました」
当サイトをご覧になっている方の中にも、このような経験をされた方も多いと思います。
【レントゲン撮影をすると治りが悪くなる?!】
421名の腰痛患者を対象に、X線撮影をする群と対照群に無作為に割り付け、9ヶ月間追跡調査した結果、X線撮影群の方は痛みの持続期間、活動障害、健康状態の成績が悪く、受診回数も多かった。
(Kendrick D et al, BMJ,2001)
このように私たちの身体は心の働きと不可分ですので、「希望」や「安心」は身体を治癒する方向へ導き、「不安」「不信」「心配」はその悪化や慢性化の方向へと導きます。
痛みの2つの側面
痛みには二つの側面があります。一つは感覚としての側面。もう一つは情動としての側面です。しかしこれでは何のことだか分からないと思いますので、例を挙げてご説明します。
例えば指圧院などに行って、いつも気になる場所をグーっと押さえて頂いたとしましょう。その時、感覚としては「痛い」のですが、情動の方は「気持ちいい」「嬉しい(治りそう)」・・・です。
一方、痛みで目が覚め、時間の経過と共に腰の痛みが増して来たとしましょう。
その時の感覚も指圧院の時と同じ「痛い」のですが、「これは何の痛みなんだ?」「病院で指摘されていた椎間板ヘルニアが悪化したでは!」などの不安や心配がなどの情動が動くとその痛みは「つらい」ものとなります。
つまり、「痛い」という感覚にどのような情動が付加されるかによって、痛みは気持ちいいものにもなりますし、つらいものにもなります。
脳の中では「弁別」「情動」「認知」が別々に行われていますので、「不安」「つらい」などの陰性の情動が無ければ「痛み」は単なる感覚の一つでしかありません。「痛み」感覚に、陰性の情動が付加されることで痛みは悩みとなり、またそのこと自体が痛みの元となって行きます。
現在感じている「痛み」の先に「歩けなくなるのでは・・・」とか「大手術を受けなくては・・・」等といった強い不安があると痛みはとてもつらいものとなります。しかし、この痛みが「筋肉のトラブル」に過ぎず、『指圧する』『温める』『伸ばす』などで自分でもある程度軽減する事ができ、医療機関や治療院などでトリガーポイントの不活性化治療を受けるとるとかなり楽になる事が分かっていると、強い不安感が生まれず、痛みを客観的に見る事ができるようになり、痛みに対して陰性の情動を付加することが軽減されます。
その意味で筋筋膜性疼痛症候群(MPS)の考え方が広まり、一日でも早く日本全国どこでも、近くの医療機関や治療院でトリガーポイントの不活性化治療が受けられるようになることが望まれます。
医師の言葉で改善率が変わる
私たちの痛みが心によって大きく左右されることが次の表によってもお分かりになるでしょう。
この表は医療機関を受診した患者さんに対し、ポジティブな言葉がけをした群と、ネガティブな言葉がけをした群に分けて、その後の改善率を追跡調査したものです。
ポジティブ群:医師が患者に対し希望を持たせたり勇気づけをする言葉を掛けた群。
ネガティブ群:医師が否定的な言葉を患者に与えた群。
ポジティブ群 ネガティブ群 治療群 無治療群 治療群 無治療群 改善率 64% 64% 42% 36% (Thomas KB,BMJ,1987)
ポジティブな言葉がけをされた群では治療を受ける受けないに関わらず64%の改善率を見せていますが、ネガティブ群では治療受けてもその改善率は、ポジティブ群の無治療群に及びません。このように希望や安心を与えられると改善率は上がり、希望を失わせるような言葉や不安にさせる情報が改善率を下がってしまうことが分かります。
認知行動療法
「認知」というのは私たちのモノの見方や信念、モノサシの事を指します。そして、私たちは世界のありのままを観ているのではなく、自分の信念や経験などに照らし合わせて、それに意味づけをしています。その認知の仕方には必ず個人差があり、客観的な世界そのものとはそれぞれ異なっています。つまり誰しもモノの見方や信念には一定の偏りがあり、思いこみを持っていると言えます。
私たちは何かの出来事に遭遇したときに、それに対する感情がすぐに生まれてくるのではなく、無意識下のモノサシでその出来事を判断し、その判断によって感情が生まれてきます。従って、どちらかと言うと否定的なモノサシを身につけている場合、同じモノを見ても、他の人よりも否定的に捉え、陰性の感情(怒り、悲しみ、混乱、抑うつ)が生まれてくることになります。
慢性の痛みで苦しんだり、長年の不定愁訴で悩んだりしますと、視野が狭くなり否定的な認知をする傾向になります。その結果自らに不都合な認知をしてしまい、結果として様々な嫌な陰性の感情が生じてくるという悪循環に陥ります。このように認知のあり方は「感情」に影響を与えますが、下図のように、行動や生理にも影響を与えます。
さらに 「認知」「感情」「生理」「行動」という4つの側面は互いにリンクしており、どの側面から取り組んでも、他の3つの側面に変化が生じます。従って「生理」という側面を変化させるには、生理だけにアプローチするのではなく、「行動」を変えたり、モノの考え方を変えたり、感情のあり方を変える事でも変化するということです。
認識療法
心と身体はひとつですので、痛みの発症や遷延化に、心が何らかの形で関わっていることは間違いがないでしょう。そして、痛み治療を受けてもなかなか改善しないような場合、適切な治療を受けていないという側面と、心理的要因が大きく関わっているという二つの側面があると思います。
心理的な要因が治癒力を阻害しているような場合に欠かせないのが「認識療法」です。認識療法とは誤った情報や思いこみによって、症状や痛みの原因に対して過剰な不安を抱いた為に、治癒力が阻害されているようなときに、その誤った認識を書き換えるという方法です。
たとえば次のように誤った認識を持ちますと、さまざまな不安が生じてきます。不安は気分を落ち込ませ治癒力を阻害し、副腎を介して組織の酸素欠乏をもたらします。また身体を緊張させて、細胞の酸欠状態を生じさせますが、この組織の酸素欠乏は発痛物質を産生し痛みを増強させると共に修復力を低下させ、結果的に痛みを慢性化させてしまいます。
誤った認識 | 生じる不安 |
---|---|
腰椎椎間板ヘルニアが痛みの原因 | 手術を受けなくてはならない。手術で治るのだろうか。 |
腰椎分離症が痛みの原因 | 動くとずれるのではないか? |
しびれは運動マヒの前兆 | 動けなくなるのではないか? |
そこで、このような誤った認識を書き換えることで、治癒力を回復させ、慢性化を防ぐことはとても重要です。
まとめ
これまで見てきたように痛みの発症や慢性化に関わる大切な二つの問題(「筋筋膜性疼痛症候群」及び「心理社会的要因」)が、これまでの痛み医療の中では取り上げられていなかったり、軽視されていたため、「痛みの放浪者」が増え続けてきたと言えます。
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目次
- 1.日本の痛み医療は遅れている!?
- 1-1 現代医学は痛みの原因のとらえ方を間違えています。
- 1-2 今までの「痛み常識」を疑ってみる
- 1-3 画像診断は役に立たない
- 1-4 構造的アプローチから機能的アプローチへ