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昭和期の戦争を考える④

明治38年日露戦争の結果、ロシアから遼東半島西南部を占める租借地の権利を継承し、関東庁を置き、旅順・大連・金州などに民政署を置き、関東軍が駐留することとなった。

日露戦争はロシア南下の脅威に対する自国防衛の戦いであったが、関東軍はいつしか満州経営を志向し、ともすれば本国政府の方針を無視し、独断専行の振る舞いが見られるようになっていた。

昭和6年9月18日、柳条湖の満鉄線路が爆破される事件が勃発、これを景気に関東軍が軍事行動を起こし、満州一円を制圧するという満州事変に発展し、さらには日中全面戦争への道を突っ走ることとなった。

当時のわが国には、18世紀から19世紀にかけて盛んに行われた欧米諸国による植民地開拓競争を追いかけるような気分で、大陸への進出も、他国を侵略するような罪悪感は無かったことと思われる。

あれは中学1年生の時だから、昭和10年だったと思うが、小学校の同窓会の席で、先生が当時の日中紛争について、日本が軍事力を行使するのは、在留邦人を守るという大義があると言われた。

これに対して、先輩の堀内三郎さん(安川財閥一門の子息で当時中学5年生)が次のように異論を述べられた。

「在留邦人を守ることは大事なことでしょうが、その為に現地の支那人に死傷者を出すような軍事行動は大義があるとは言えないと思います。被害を被る支那人にとっては野蛮な暴力行為でしかないと思います。」

これを聞いたとき、私は大変なショックを受けた。
天地俯仰に恥じぬ大義とは、世界中誰しもが認める正義でなくてはならぬということを、初めて知らされ、目から鱗が落ちる思いがしたが、日中戦争についてもこの時から見方が変わったのではと思われる。

その頃の私と言えば、兵役は国民の三大義務の一つと教えられていたが、生来病弱な自分は、国民として不適格でないかという思いが、いつも心の隅にあり、そのコンプレックスが私をよろず引っ込み思案な子どもにしていたような気がする。