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第十二話「四方拝」(しほうはい)

昨今の年末年始といえば、大晦日の「紅白歌合戦」から「行く年来る年」とテレビを見ているうちに、年が変わって行くというのが、大方の家庭の年越し風景であろう。年があらたまるという感じが甚だ希薄である。時の流れというものには、本来なんの切れ目もあるわけではないのだから、これが自然なのかも知れないが、子どもの頃の新年を迎える、あの一種独特の興奮が失われてしまったことには、一抹の淋しさを禁じ得ない。
私達の子どもの頃は、わが家のようなサラリーマンの家庭では、大晦日には家中で朝から大掃除をして、表には門松、注連縄(しめなわ)を飾り、座敷の床の間には三方の上に譲り葉(ゆすりは)を敷き鏡餅を供えた。
私の家は両親がクリスチャンであったので、神棚も仏壇も無かったからその程度のことだったが、一般の家庭では神棚はもちろん井戸や竃(かまど)などにも、しかるべきお重ね餅が供えられていた。
夕食には家族揃って年越し蕎麦をいただき、去りゆく一年の幸せを感謝し、新しい下着と洗濯して貰った征服を枕元に重ねて就寝した。テレビもラジオもまだ無かったから、紅白を見て夜更かしをするなどのこともなかった。

元日の朝は年男による若水汲みや、早朝からのお宮詣りなどが一般の習わしであったが、わが家では到津の丘に上り、初日の出を迎えた事はあったが、お宮詣りなどはしなかった。
家内揃って新年の挨拶を交わし雑煮を頂くと、新年の式(四方拝と言ったが)に出席するために登校した。当今の祝祭日は仕事や学校が休みになるだけだが、当時は授業こそ無かったが、それぞれ儀式が行われたものである。新年の式では「君が代」斉唱、校長先生の教育勅語奉読、新年の式辞、「年の初め」斉唱といった式次第が行われた。
私が通学した明治小学校は安川、松本財閥による私立小学校で、教室には石炭ストーブの設備があったが、講堂は雨天体操場を兼ねたトタン葺き、障子貼りの窓で暖房は無かった。
雪のちらつく正月、ここで行われる式に小一時間立ち続けると相当に冷え込んだものである。
おまけに当時は、今と違って学童の栄養が偏っていたためか、冬の季節は大半の生徒が鼻風邪をひいていたので、校長先生が教育勅語を奉読する間、起立低頭して拝聴していると、自然鼻汁が垂れ下がって来る。しばらくすると、その鼻汁をすすり上げる音が、あちらからもこちらからも聞こえてくる。その音を聞いている内に、つい可笑しくなって、こらえきれずに一人がクスクス笑い出す。するとそれが他の生徒の笑いを誘うこととなる。「おそれおおい勅語を拝聴して笑うとは何事か」と年始早々先生にたいそう叱られたこともあった。
式が終わると、それぞれ各クラス毎に教室で先生の訓辞があり、一人一人新年の抱負を述べさせられたりした。そのとき自分がどんなことを喋ったか覚えていないが、毎年正月には、今年こそ病気をしないように、そして一日も欠かさず日記をつけようと決心した事だけは、はっきりと記憶している。そしてその二つとも、ついぞ実現できなかったことも間違いない。
年頭の覚悟が三日坊主で終わったとしても、また翌年の年頭に覚悟を新たにする事は、それなりの意義があるように思えるし、祝祭日に登校して儀式が行われる方が、ただ一日遊びほうけてしまうより、ましな気がするが、如何なものであろうか。(昭和五十四年)

⇒第十三話「近眼と眼鏡」