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「二十二、部隊解散」

停戦の指令はあったものの、一部青年将校の中には、あくまで徹底抗戦すべしとする動きがあるなどの噂も聞かれた。しかし従う兵士も無く、事は沙汰止みになり、首謀者の第一大隊の陸士出の青年将校は、尽忠報国の信念を貫き割腹自殺したと聞かされた。

だが、その話もさしてみんなの関心を惹くこともなく、過ぎ去って行った。その雰囲気にいささかの違和感を感じながらも、私自身、すぐ忘れ去っていた。あの時の心境はどうであったのか、今となっては自分自身のことながら思い出せない。

もう戦争は終わったことだから、大隅の山奥から下りて部隊本部は都城の女学校校舎へ移ることとなった。山を下りる前日、あれは部隊解散の正式な儀式であったのだろうが、将校宿舎前の一段高い丘の上で連隊旗の焼却式が行なわれた。

連隊長可西大佐以下主だった将校と本部の下士官、兵士が整列し敬礼する中、連隊旗手の大谷少尉の捧げる軍旗に点火された。喇叭手の吹奏する荘厳な音色の中で、一筋の煙が黄昏(たそがれ)の空に立ち上り、歩兵第一八七連隊編成時に、天皇陛下から連隊長に下賜された軍旗はやがて燃えつき、私は虚脱感の中、そこに立ちつくしていた。

部隊編成もなにかと慌ただしいことであったが、部隊解散となると、経験も無いことであり、今まであった命令系統もうやむやになった状態で、何をして良いか分からない。とにかく山の中の仮設兵舎を片づけ、八月末頃都城女学校の校舎に移動して、部隊解散の事務処理をすることとなった。

戦争裁判があるという噂が流れ、誰の指示であったか分からないが、将校の兵籍名簿は焼き捨てろと言われ、その手筈をしていると、いや保存して福岡の留守隊本部に納入することになったという。よろずそのような有り様で事務は混乱を繰り返して捗(はかど)らない。

連合軍に降伏したので、とりあえず、兵器は全て一ケ所に纏めて保管することとなり、私達も各自の小銃・帯剣を差し出し、女学校の校舎に付随する物置き小屋に集積した。

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