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「十九、米軍機の地上掃射に逃げ回る」

梅肉エキスで命拾いをして部隊に復帰してみたら、連隊本部の事務兵も背嚢爆弾を背負っての突撃訓練が行なわれていた。

米軍の戦車は厚い鉄板で覆われていて、日本軍の銃弾など跳ね返されるだけで何の役にも立たない。そこで兵士一人一人が爆薬を詰めた背嚢を担いで、敵の戦車の下に潜り、自爆して破壊しようという作戦である。

自分にできるかどうか自信は無かったが、これなら不具になって生き残る苦しみからは免れ得るのではと思ったりしたことであった。

米軍は四月に沖縄上陸、六月下旬には日本軍の守備隊は全滅している。この頃になると、頭上の空を飛ぶ飛行機も、ほとんどが米軍機で、日本軍の飛行機を見ることは稀になっていた。

空襲が激しくなるにつれて、周辺の部落民は昼夜を問わず、崖下に堀った横穴式の防空壕の中で暮らし、空襲が跡絶(とだ)えたと想われる僅かな時間、我が家に帰り煮炊きをして、また防空壕に戻る生活を、繰り返して居るようであった。

いよいよ日本本土を目指して米軍が来襲、志布志湾での戦闘間近ということは部隊全員、暗黙のうちに予想していた。

そんなある日、連隊副官の安部大尉の命令を受け、第二大隊本部へ書類伝達に赴くこととなった。山坂を下りしばらく行くと、半年ばかり前まで住んでいた志布志中学の校舎の側を通りかかった。先生も生徒もすでに待避し無人の校舎となっていたが、懐かしさのあまり正門前の方に歩こうとした途端、雨雲の中から米軍機の爆音が聞こえた。どこかに隠れねぱと思ったが、適当な遮蔽物は無い。仕方なく今は空き家となっている民家の床下に潜(もぐ)り込んだ。

と同時に米軍機の地上掃射する銃声が聞こえる。初めての体験で身が震えるほど恐く、ただ床下の砂地にへばりついていた。
米軍機が掃射しながら頭上を三、四回旋回して通り過ぎるまでの時間は、僅かなことだ。たのだろうが、えらく長い時間のように思われた。

やがて米機は飛び去ったように思われたので、恐る恐る床下から這い出してみると、後方に火の手が上がっている。先はどの米軍機の焼夷弾によるもので、私が潜りこんでいた家屋の一部が燃えている。消火しようにも水も無ければ、砂をかけようにも道具も無い。どうしようもなく困惑していたら、折よく激しい夕立が降ってきた。

おかげでその民家は黒焦げになった一部を残して、焼失からは免れた。

私も全身ずぶ濡れになってしまったが、また米機が現れぬか、そればかりが気がかりで、空を仰ぎ仰ぎしながら目的地へと走り続けた。

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