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森平さんが豆の支柱にする藤竹を車で運んで来てくれた。まだ青い葉が付いているので枯らすため畠のまわりにさす。3月の鹿遊会の案内やら平成2年歩行の記(1)をコピーするためマルシンへ行く。今日は犬の散歩とマルシン往復のみ合計3km
1月13日 曇り時々晴れ 犬の運動の後10時スタート。
相田浄水場を回って中村橋~桂木学園~古野のコースを辿る。この山道はもうずい分歩いたが、人一人会わず、何度通っても気持ちの良い道である。ことに桂木学園の先の峠を越すと、八木山山塊に連なる山が間近に迫り、その峡を流れる古野川沿いに点在する農家の佇まいはまことに好ましい眺めである。いつもように古野から西へ伊川道へ向かう往還を行く。
古野の公民館を過ぎ右へ入る脇道がある。その脇道へ入るとしばらくして、右手一段高い所に観世音堂がある。鳥居はないものの一見お宮さんかなと見違えるような造りである。どこのお宮にでも下がっている鈴が下がっている。神仏混淆の名残であろうか。狭い境内の右手に16体の石仏が並んでいる。高さ一尺ほどの石像で、石は凝灰岩であろうか痛みが激しく、鼻の欠けているものもあり刻字も定かでない。
目を凝らして右から読んでみる。
①不動尊 ②( )如来 ③文殊菩薩 ④( ) ⑤地蔵菩薩 ⑥( ) ⑦( )⑧観音菩薩 ⑨( )菩薩 ⑩阿弥陀如来 ⑪( ) ⑫大日如来 ⑬虚空蔵菩薩 ⑭弘法大師 ⑮( ) ⑯( )となっている。⑯の石像の側面には文政元年(1818年)と刻まれているようである。この内弘法大師像だけが一つ大きく新しい。これには大正2年と刻まれている。右端の不動尊からちょっと離れて猿田彦大神の石碑が立っている。神も仏も仲良く暮らすのが日本の精神的風土というものであろうか。
それなのに、キリスト教はどうして未だに日本の地に根を下ろさないのだろう。徳川幕府のキリシタン禁制はあったが、信教自由とされて一世紀以上も経たというのに。この猿田彦大神の隣に聖母マリアの像でも立っているようであれば、日米、日欧の文化摩擦も今少し違った事になっていたのかも知れない。科学や技術、音楽をはじめ衣食住に至るまで、これほど洋風化した日本でキリスト教が根づかないというのは、日本人の体質にどうしても合わない何かがあるというのだろうか。
観世音堂下の道を進み、建花寺本村へ登る往還へ出た。その往還を左へ下がり、蓮台寺川、伊川橋のところから川沿いに伊岐須小学校へ向かい帰宅。
本日歩行9900歩 6km弱
2017年9月11日
所長の佐藤です。
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