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内務班では、毎晩点呼前に銃の手入れをし、内務班の中廊下にある銃架に立てかけて就寝するのが、慣わしとなっていた。
ある夜、消灯とともにペッドに入っていると、当日の週番である畠中上等兵が、その銃架のところから「○○番の銃は誰か、起きてこい。」と、怒鳴っている。よく考えてみると私の銃である。慌てて飛び起きて行くと、彼は私を見て
「なんだ、お前か。」
と言って、顎をしゃくって私の銃を見ろという素振りをする。私は自分の銃を見た瞬間、心臓が止まる程の衝撃を受けた。なんと、つい先程手入れをして、全く異状の無かった私の銃の銃身から、遊底一式が無くなっているではないか。
当時の軍隊では、小銃には菊の御紋が刻印されており、つねづね「天皇陛下からのお預かり物だから、自分の命より大事にせねばならん。」と教えられ、その部品の一つでも傷つければ営倉行きとなる。
私は事の重大さに、なぜ無くなったのか、何時盗まれたのかなど考える余裕も無く、目の前が真っ暗になってしまった。
すると畠中上等兵は声をひそめて、「銃を持ってついて来い」と言う。
屠所(トショ)に引かれる羊の思いで、足音を忍ばせて彼について行くと、中隊の兵器庫につれて行かれた。
暗い兵器庫の中で、彼の質問に私はありのままに答えた。すると「点呼から消灯までの間に盗まれたんだな。俺が週番だから良かったものの、本来なら重営倉だぞ。」
と、言いながら、兵器庫の中にある遊底の一つを取り出して
「とりあえずこれを差し込んでおけ。銃身と遊底の番号が合わんのは仕方がない。明日班長に、この銃はどうも照準が合わんと、兵器係の畠中上等兵が言うとったと申し出ろ。そうすりゃ、銃身込み番号の揃った銃に取り替えてやるからな。兵器台帳も、その時書き替えりゃ分からんごとなる。」
と言ってくれた。
まさに地獄に仏、なんとお礼を言っていいの分からず、立ちつくしていたら
「他の者に怪しまれんごと早よう内務班に帰って寝ろ」
と、せきたてる。私は無言のまま幾度もお辞儀をして、再び足音を忍ばせてペッドに戻った。
翌日、言われた通りにして、無事銃身、遊底とも番号の揃った銃に取り替えて貰ったときは、畠中上等兵になんべんもお礼を言いたかったが、班長に怪しまれぬよう、何も言うなという彼の目配せに従って、私は黙って引き下がった。
私は何時か何らかの形で、彼の厚意に報いたいと思っていたが、その後彼は沖縄に転属し、苛烈な沖縄戦で散花したと風の便りで耳にした。彼の厚意は、私にとって永久の借りとなってしまった。
(注)遊底(ユウテイ)=銃の閉鎖機。銃の機関部後方にあり、前後にスライドして、弾薬の装填(ソウテン)、空薬莢(からヤッキョウ)の排出を行ない、発射時には機関部を閉鎖し、爆発圧が逃げるのを防ぐ装置。
(注)営倉(エイソウ)=兵営内にあって犯則者を拘置した施設。また、そこに入れられる罰。陸軍懲罰令では重営倉と軽営倉との別があった。
2015年6月19日
所長の佐藤です。
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