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十一、尾見雄三について追而書

今回落合氏から頂いた資料によって、尾見雄三に関するいくつかの断しい発見と疑問が出てきた。

(1)上磯での事跡

「尾見雄三という人」に引用した彼の履歴書では、維新後上磯郡谷好村に移住し、開拓農業に従事したと記してあるが、そこでの事跡に就いては、何も書かれていないので、分からなかった。

ところが、今度落合さんから頂いた資料によると、明治二十三年に農事篤志者として五人の人が郡長に報告推薦されている。その中の一人として尾見雄三が挙げられているが、その調書のコピーを頂くことが出来た。

原文は旧仮名遣いによる濁点・半濁点・句読点の無い漢字カタカナ混じり文で、今時の人には読み辛い文書である。そこで、適宜濁点・句読点等を入れ、仮名遣いは現行のものに、カタカナはひらかなに置き換え、また難解な語句については現代語を括弧書きするなどして、以下に転載する。

農事篤志者調

北海道上磯郡谷好村字深掘亘=十番地
士族尾見雄三 文政八年十二月生

一、移住の状況
雄三は元来松前家の臣にして、維新の際、館藩に仕え、松前郡福山に住す。
後開墾に志し、明治十一年自費を以て、家族を率いて上磯郡谷好村に移住す。爾来専ら拓地墾成に従事す。

二、所有地
上磯郡谷好村に、田=七町歩、畑=十二町歩、山林=十二町歩三反三畝、
宅地=六畝六歩、部分木地=一町五反歩、果木地=一町五反歩

三、開墾の年処
明冶十二年より二十二年まで毎年田五反歩、畑一町歩墾成す。その外購求の分なり。

四、功績・篤志
①明治十一年、谷好村 柳渓小学校新築費へ金五円寄付して開拓使より賞せらる。
②明治十二年、清川村 沖川小学校新築費へ金二円寄付して開拓使より賞せらる。
③明治十二年、釜谷村 釜谷小学校新築費へ金二円寄付して開拓使より賞せらる。
④明治十四年、函館農業仮博賢会へ蕎麦を出品して三等賞状を賜る。
⑤明治十四年、上磯病院設立費へ金三円寄付して開拓使より賞せらる。
⑥明治十六年、北海道物産共進会へ米を出品して二等賞状を賜る。
⑦明治二十一年 上磯病院新築費へ金三円寄付して北海道庁より賞せらる。

五、所有財産・生計
田畑・宅地・山林合計価格金三千三十円。移住の初め生計豊かならざるも、倍々(追々)業を励み、為に現今稍(やや)其の度を高くす。
此の外農用馬牝牡合わせて十頭を有す。価格合わせて金二百円。倍々(ますます)事業の増殖を計盡(計画実行)せり。

六、家 族
男六人、女五人、定傭夫(使用人)男三人、女三人。

七、本人の資性
資性忍待にして(忍耐強く)能く難事に屈せず、老いて倍壮倹(ますます壮健)、以て身を節し、恭以って人に接す。現時推して本村の総代たり。 (以上)

なお落合氏の『松前藩士尾見雄三の上磯町に於ける顛末』には、「入植六ヶ月後に尾見雄三は、上磯の副戸長を勤めた。」と書かれている。

(2)尾見家の家系における雄三について

前述の落合氏のエッセイでは、「戸籍にみる尾見雄三」のところで、次のように書かれている。

明治十一年六月十日、松前(福山)新花町より、尾見武興の養子として前期住所(上磯郡谷好村深掘百三十八番地)に全戸転住した。

明治三十二年一月十日、何故か理由は不明であるが栽判所の判決により、戸籍の前戸主欄を武輿から輿平に替えている。
単なる記載ミスの訂正か、武輿と興平の関係について今一つ判然としない。

なお、「尾見雄三の公職」のところでは

三好村用係の「尾見幹」は、雄三より二十一歳年下、輿平(雄三の養父)の長男で離縁され、雄三の養子となっている。

と記してある。

この点については、前に「尾見雄三という人」で述べたところだが、武興は尾見家の四代目当主であり。輿平は同じ松前藩士古田家から養子に入り五代目当主となっている。
ところが興平は様似頭役在任中、二十一歳の若さで客死し、当時興平の嫡男幹はまだ赤子であったので、雄三が改めて武興の養子として尾見家に迎えられ当主となっている。

なお、雄三が六代目当主として尾見家に入った時点で、将来の家督相続の際に、紛争とならぬように配慮してのことと思われるが、幹を次の七代目当主とすると決めら
れている。

雄三の履歴書では、単に「故ありて尾見家を継ぐ」としか記されていないので、私は今まで、雄三は輿平の未亡人のところに婿入りしたものと思い込んでいた。

ところが落合氏のエッセイには、尾見家直系の子孫の尾見節夫氏より借用した戸籍簿によるものとして、嘉永六年(一八五三年)雄三は二十八歳のとき、元松前藩家老下国斉宮の四女カメ(二十六歳)と結婚したと書かれている。

これを見ると、尾見雄三は、興平の未亡人のところへ婿入りしたのではなく、四代目武興の養子として尾見家に入り、次いで下国斉宮の四女カメを嫁に迎えたということかとも思われてくる。

しかし、雄三の履歴書によると、尾見家を継いだのは嘉永元年(一八四八年)となっている。また落合氏が戸籍簿(上磯町役場所蔵)によるものとして記載している長女セイの生年は嘉永二年(一八四九年)となっている。

セイの生母についての記載が無いので、真相は分からない。セイが輿平の未亡人との間に生まれたものとすれば、雄三にとってカメは二番目の妻であったということになる。またカメの生んだ子とすれば、カメ自身も再婚一で、セイはその連れ子ということになる。

資料が曖昧なので、いくら憶測しても、分からない。
いずれにしても、雄三・カメの夫婦が、尾見家の当主の座にあったとき、興平の未亡人と遺児幹は、どうしていたのだろう。おそらくは、尾見家の離れか別の家に住み、雄三の家禄から生活の面倒をみて貰っていたということではなかろうか。

維新前の戸籍は、どういうことになっていたのか、分からないが、今日のように整備されてなく、雄三と幹の続柄も戸籍の上では、曖昧なままになっていたのではあるまいか。そんなことで、雄三が隠居し、かねての取り決めに従って当主の座を幹に譲ることになり、前述のような手続きが必要となったものと思われる。因に、裁判所の判決により雄三の前戸主を武興から輿平へ変更した明治三十二年という年は、七十五歳となった雄三が五男五郎に引き取られ、大阪へ転居した年である。

(3)雄三の二人の妻と子供達

家系図によると、カメは三男三女の子を生んでいるが、文久三年(一八六三年)三十六歳の若さで亡くなっている。三男宝蔵(生後七日で死亡)の出産がこたえたのだろう、宝蔵を追いかけるように、八日後に他界している。

その時、次女カクはまだ六歳、三女タノはやっと四歳に過ぎない。雄三の履歴書と照らし合わせてみると、当時雄三は尾花沢奉行として.出羽国(山形県)尾花沢に在勤している。カメは尾花沢で客死したのだろうか、それとも松前の留守宅で、夫に見取られることもなく死んだのだろうか、いずれにしても哀れである。

長女セイはもう十四歳になっていたようだから、彼女が亡母に代わって主婦の役目を勤めたのだろう。

四年後の慶応二年(一八六六年)、雄三は江差奉行に任じられ江差へ赴いているが、この年、松前藩医村岡啓斉の長女スマと再婚している。

彼女もまた四男二女の子供を産んでいるが、夫雄三が正義隊のクーデター参加から松前戦争で各地を転戦する間、沢山な子供を育て、留守宅を守るのに、大変な苦労をしたに違いない。さらに維新後は、雄三について開拓村に入り、慣れぬ農作業に自らを酷使したことだろう。
明治二十二年(一八八九年)、四十九歳で他界している。

こう見てくると、雄三は明治二十年頃函館に転居しているが、スマの病気療養のため、娘カクの嫁ぎ先である佐藤医院を頼ってのことではなかったのかと、思われて
くる。

それにしても、またしても妻に先立たれる雄三は、どんな思いでスマを見送ったことだろう。

(4)雄三の子供達

落合さんのエッセイによる、雄三の子供達についての記録は次のようになっている。

①長女セイ 嘉永二年(一八四九年)六月一日生
明治十四年(一八八一年)松前・唐津内町、岩田金蔵養女となる。

②長男毅 嘉永二年(一八四九年)九月二十三日生
明治二年(一八六九年)松前・斬花町、山田政保(旧高遠藩)養子となる。

③次男晃五郎 嘉永六年(一八五三年)十二月十五日生
安政二年(一八五五年)松前・河原町新井田浦人養子となる。
④次女カク安政三年(一八五六年)十一月十五日生
明冶十一年(一八七八年)函館区鍛冶町、佐藤良仲妻に嫁す。

⑤三女タノ安政五年(一八五八年)三月十五日生
明治十年(一八七七年)松前・河原町、村岡格妻に嫁す。

⑤三男宝蔵文久二年(一八六二年)五月三日生
同年同月十日死亡。

以上先妻カメの産んだ子供達については記されているが、後妻スマの子供達については省略されている。

なお、長女セイと長男毅の生年が同じになっているが、誕生日を異にしているので、二卵生双生児とも考えられない。おそらくは戸籍の記載ミスではないかと思われる。

この記録を見ると、長女セイは三十二歳になるまで、嫁ぐことなく尾見家にいたようであるが、実母カメが早く亡くなったため、弟妹の世話に明け暮れて婚期を失したのではないかと思われる。

また長男毅が雄三の実父山田政保の養子となっているところを見ると、雄三が山田家を離れた後、実家の兄弟が死絶えるなどで、後継者が無くなったものと思われる。
なお明治二年当時、山田政保の住所が松前となっているところを見ると、老境に入った実父を、雄三が江戸から呼び寄せていたのではないかと思われる。

次のページへ「あとがき」

2016年10月19日

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