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第二十二話「学生服のことなど」

最近は少し下火になったようだが、二、三年前ひとしきり高校や中学の校則が厳しすぎるとか、髪型や服装などについて、事細かに定められているとかが学園内のトラブルの原因として報道される記事をしばしば見受けたものである。

 
今どきの学校がどんな校則を設けているのか知らないのだから、その是非を論じる資格はないが、そもそも学校の秩序を保ち、学内のトラブルを未然に防止するための校則である筈だから、校則の存在がトラブルの原因となるなどと言うことは、私のような老骨にはどうも理解のいかないことである。

 
的外れの考え方かも知れないが、こうしたことは戦後顕著になった、権威や法規を無視する風潮によるものではないかという気がする。戦時中にも食管法の網の目をくぐって買い出しや闇取引が行われていたが、その多くは餓死を免れるためのいわば正当防衛的不法行為であったようだ。

それに対して、髪型や服装などは人間の生死に関わることでもなし、また勉学に支障をまねくというものでもなく、校則に反してまでも自己主張する程のものではないように思われる。こういうことを言えば、当今では没自我、事大主義、体制順応と軽蔑されるのかも知れない。

 
そうした論議はさておいて、私の学生の頃は、はてどうだっただろう。おぼろげな記憶を手繰ってみよう。

 
私が小学校に入学したのは昭和四年のことだが、当時都市部では子どもの洋服が次第に普及し、男の子は学童服装の者が相当居たが、まだ筒袖かすりの着物で登校する者も少なくなかった。ことに女の子には学童服のようなものも無く、地方に行くにつれ大半が粗末な和服だったようである。

 
男の子が時折着物の袖で垂れ下がる青ばなを拭きながら独楽を回す姿や、女の子が着物の裾をからげて縄跳びや石蹴りをしていた姿が思い出される。

 
私の通った明治小学校では、男子については制服とされていたのだろう、全員が夏は霜降り、冬は黒木綿の小倉、いずれも折り襟五つ釦の学童服を着ていた。ズボンは半ズボンだったが、六年生の頃は長ズボンを履いていたような気もするが、そのあたりは定かでない。

女子については入学当初は制服が無く、たしか在学中に、冬は白のブラウスに紺のジャンパースカート、夏は淡い空色のツーピースのものが制服と定められた。

 
毎年六月一日に男女一斉に夏服に衣替えをすると、教室がパッと明るく心も軽やかになったものである。

 
当今のファッション感覚からすれば、まことに野暮ったい学童服であったが、小学校に上がり、この学童服を身に纏うと、それだけで幼児から脱却して、なんとなく大きく偉くなったような気がした。もっとも当時は今のような物の豊かな時代では無く、エンゲル係数の高い庶民の家計にとって、子どものものとは言え学童服の新調は相当の負担であったに違いない。また、四、五人兄弟というのが一般的な家族構成であったから、新一年生と言っても皆が皆ピッカピカの一年生というわけにはいかず、多くは兄や従兄弟などのお下がりを着ていたものである。

 
私の場合は五歳上の兄がいたので、当然兄の着古したお下がりを着続けたものである。兄はよろずに几帳面で綺麗好きあったのに対し、私は乱雑極まりなかったので、母から「お兄ちゃんは服も大事に着てたのに、この子は万事手荒いから着せた途端に破ってしまう」としばしば小言を言われたが、私は内心「俺だって新品を着せて貰えば破けたりするものか。兄貴が散々着古して、いい加減くたびれた頃に俺に回って来るのだから、すぐに破れたり綻んだりするんだ。次男に産まれて損をする」と思ったりした。

 
しかし、お下がりを着なければならなかったのも小学校の間だけだった。中学も兄と同じ小倉中学に進んだが、兄の一年下の学年から、当時の戦時世相によるものであったろうか、従来の冬黒、夏霜降りの制服が、同じ詰め襟ながら夏冬とも草色のものに変わったので、次男の私もやっと学生服を新調して貰えることとなった。

 
帽子は小学校も中学も男子は前鍔のついた黒の学生帽で、それぞれの学校の記章をつけていたので、街中で出会ってもどこの学校の生徒か誰にでも見分けがついた。

六月から九月の間は帽子に白い日覆いをかぶせて着用したが、これは中学も同様で、真夏の校庭に全校生徒が集合すると、この日覆いが千余の白い花を咲かせ、空に浮かぶ入道雲と共に真夏を実感させる風物詩であった。

 
靴は小学校の時は晴天ズック雨天ゴム長靴と、今日の小学生と変わりないが、休み時間に校庭で遊ぶ時や体操の時間、運動会などすべて裸足であった。

明治小学校は私立学校で児童の家庭環境も比較的恵まれていたので、裸足で登校するような者はいなかったが、昭和初期の当時は舗装もされていない道を裸足で通学する者も少なくないのが一般的状態であったようだ。

 
昭和九年積部隊の聯隊本部の一員として鹿児島県志布志市の中学校に駐屯していたとき、戦争末期の極度な物資不足という事情もあったと思うが、地元の学生は男女問わず日常裸足で登校しており、たまに靴などを履いているのを見かけた日は祝祭日であったことを思い出す。

 
こんな状態であったから、当今のような屋内で使用する上履きなど履いたことはなかった。中学の時も同様で、このため一年生の時校舎間をつなぐ渡り廊下のスノコ板の削で怪我をしたこともあった。

 
ズックで通学した小学校とは異なり中学では編み上げの革靴で、ずいぶん高価だったように思う。私の記憶に誤りがないとすれば、たしか一足五円もしたように思う。成長盛りの時だから、多少大きめのものを買い、当初は底敷をねたりして履いたものである。しかし靴を履いたのは通学時だけで、家庭生活や私的な外出の時はもっぱら下駄、それも多くは安物の焼き杉の下駄であった。

 
当時の中等学校(中学校、工業学校、商業学校、師範学校)の服装で今日全く見られなくなったのがゲートル(脚絆)である。あれは何時の頃からのことか知らないが、軍事教練が学校教育の中に取り入れられるようになったのが、大正四年(広辞苑による)だそうだから、たぶんその頃であろうが、中等学校の生徒はすべて長ズボンの上からこの脚絆を巻いて登校し、授業中はもとより、帰宅するまで着用していたものである。

脚絆には通りあり、当時陸軍の兵隊が使用していた巻き脚絆と、海軍陸戦隊がしようしていたゲートルとがあったが、多くの学校では前者を採用していたようだ。

これは包帯を脚に巻き付ける要領で、足首から膝下までの間に巻き付け、最後に末端についている紐を結び固定するのだが、要領が悪いと行進中に解けることがある。

小倉中学では白のゲートルを採用していたが、これは布製のすね当てで、すねの外側で釦をかけ、膝下で付属の紐を結び固定するので解ける心配はなかった。

 
しかし、軍事訓練でほふく前進をしたりすると、釦がとれて無くなることがしばしばあった。

この釦一つとれていても、朝礼時に行われる服装検査で、教練の先生から「たるんどる!」と叱られたことであった。

 
小、中学校時代の服装は、概ね上述のようなことであったが、小学校の頃はお下がりでない新調の服を着ている友達を多少羨ましく思ったことはあったが、格別服装についてとやかく思ったりした記憶はない。私だけでなく当時の男の子は、概ねそんなところであったようだ。物の乏しいその頃は学校でも家庭でも、古着をよく洗い繕って着ることの貴さを教えこまれていたし、ことに男の子が衣類に苦情を言うなどは恥ずべきこととされていた

 
しかし、中学生になり、俗にいう色気づく頃になると、なかにはいろいろと格好つける者も出てくる。帽子の鍔や制服の上着を短く、詰め襟を高くして当時若い女性の憧れの的であった、海軍士官のスタイルに似せたり、ズボンの裾の開いたいわゆるラッパズボンを履いたりする者がいた

こういうスタイルをするのはいわゆる軟派の学生で「あいつはこの頃えろうニヤケとるぞ」などと言われたものである。

こうしたニヤケた学生の間では私生活の場でも下駄に代えて竹皮草履の裏に木片を貼り付けた八つ折雪駄が流行していたようだ。

 
当時の服装についてどの程度の校則があったか記憶にないが、こうした生徒には担任教師や風紀担当の生徒主事などから注意指導がなされたことは言うまでもない。しかしそうしたことが学内紛争になったり、社会問題に発展したりということは、ついぞ無かったように思う。

 
こうした当時としては派手なスタイルも、また上着の第一、第二釦をはずし、肩カバンなどして硬派を誇示していた一部の学生の姿も今では微笑ましい思春期の風景として思い出される。

 
(平成二年)

 

 

 

 

 

2014年9月17日

所長の佐藤です。

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